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ソースカツ丼 その縁起と系譜

icon_sause_s「ソースカツ丼」縁起


福井のソースカツ丼の縁起(発祥)を語ることは、実はそのまま「ヨーロッパ軒」及び、『日本のカツ丼の歴史』を語ることに等しいのだ。
以下は、ヨーロッパ軒総本店HP、文春文庫「ベスト・オブ・丼」、その他当ブログ管理人が跋渉した資料を参考に構成しました。


ソースカツ丼の誕生 ~ 高畠増太郎 氏:
明治40年(1907年)、高畠増太郎氏が日本料理人として料理留学のため、18歳でドイツに渡る。高畠氏はそこで、甘くまろやかなウスターソースに出合う。

明治45年(1912年)、高畠氏ベルリンの日本人倶楽部での6年間の料理留学を終え帰国する。
(高畠氏と「天皇の料理番」秋山徳蔵氏(旧南条郡武生町=現越前市の出身)とは、上記ドイツ留学の際の同期生であったとのことである。)

大正2年(1913年)11月28日、高畠氏が東京都早稲田鶴巻町(新宿区)に「ヨーロッパ軒」を出店。同年に東京で開かれた料理発表会で披露していた創案のソースカツ丼を売り出す。
これは、ドイツ~オーストリア料理の一種「ウィンナーシュニッツェル」(=シュニッツェル風カツレツ=ウィーン風カツレツ)をアレンジしたものであった可能性が高い。
屋号の「ヨーロッパ軒」は、高畠氏がヨーロッパで修行したことに因む。当時としてはハイカラな屋号であったようだ。

ちなみに、ウィンナーシュニッツェルとは、仔牛肉を肉たたきで叩いて薄くし、ミキサーにかけた小粒のパン粉をまぶして、揚げるというより多めの油で焼き揚げにした料理である。ソースは、焦がしバターをベースにオレガノやパセリ、レモンを加えただけのシンプルなもの。非常に似た料理としてはイタリア料理の「コトレット・アラ・ミラネーゼ」(=ミラノ風カツレツ)がある。

大正6年(1917年)3月、神奈川県横須賀市追浜に出店(移転との説もあり)。横須賀港百年祭に臨む。

大正12年(1923年)9月、関東大震災により、東京の店が灰燼に帰する。高畠氏やむなく郷里福井に帰る。

大正13年(1924年)1月、現在の総本店所在地である福井市片町通りに「ヨーロッパ軒」を出店。

昭和14年、敦賀分店をノレン分け第1号店として開店。以来、優秀な料理人にノレン分けを行っていくことになる。
これによりお店の数が増えたことから、福井県内、特に福井市、敦賀市でハイカラな庶民の味、郷土食として定着。他店も徐々にソースカツ丼を出すようになり、ソースカツ丼は発展をとげる。


卵とじカツ丼 ~ 中西敬二郎氏 もしくは 三朝庵:
ちなみに… カツ丼は大正10年(1922年)2月、当時早稲田高等学院の学生であった中西敬二郎氏(のちに早大教授。文学者。)が考案した、という説もある。その2ヶ月後には、東京銀座や日本橋の食堂が早くも品書に取り入れ、夏には卵とじカツ丼の姿となって大阪道頓堀に現れたという。

また、馬場下町(新宿区)の蕎麦屋「三朝庵(さんちょうあん)」が最初に卵とじカツ丼を出したのが、やはり大正10年であったという話もある。(このカツ丼は、いまも三朝庵で味わうことができる。)同店四代目女将の加藤峯子氏は「宴会料理のカツがたまたま余ったときに、もったいないからと、その冷えた残り物を煮て出したのが始まり」という趣旨のことを証言している。
これらは卵とじカツ丼の縁起といっていいであろうか。

ちなみに、中西敬二郎氏が考案したカツ丼はグレービーソース(調理された肉から出る肉汁を元に作るソース)もどきのソースをかけたカツ丼であったという説も存在するようだ。


いずれにしても、これらの日付が正しいとすれば、卵とじカツ丼のほうが後になってできたということになるので、ヨーロッパ軒がカツ丼そのものの元祖といっていいと思われる。
それにしても、これらすべてのカツ丼のルーツが、早稲田という町にあったというのは非常に興味深い。


全国への伝播:
その後(主に昭和初期から…)、日本各地(主に北関東、長野の一部 など)にソースカツ丼が徐々に分布するようになった。
これについては、各地で同時発生的にソースカツ丼が生み出され、発展した…という説がある。
が、どうやらそのルーツは、大正期に東京に修行に来ていた各地の料理人が、「早稲田のソースカツ丼」のレシピを地元へ持ち帰り、なんとかその味を再現しようとしたもの…、という説が有力であり、もっとも説得力があるように思われる。
それほどに、高畠氏の早稲田のお店は評判だったという証拠の一端とも言えそうであり、高畠氏の創案した「新しい味」が、今や、日本各地で様々な花を咲かせている、と言えそうである。


ヨーロッパ軒のいま ~ 福井のソースカツ丼:
現在、高畠氏が創業した「ヨーロッパ軒」は、福井市11店・神明店(総本店系)、敦賀市5店(敦賀ヨーロッパ軒系)、及び春江・丸岡各店の、合計19店舗でグループを構成し、福井のソースカツ丼の『コア』をなしている。

また、福井県内でも、まだソースカツ丼がなじみの薄い地域が一部あるものの、近年これらの地域でも次第に卵とじカツ丼を凌駕しつつある。
最近では、うどん・そば店が、ソースカツ丼と越前おろしそばとのセットをメニューに加える等を行っており、福井県内では、ほとんどの地域でソースカツ丼が食べられる環境になってきている。



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